土地と所有権の歴史4:初期荘園から寄進地系荘園へ

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墾田永年私財法(743年)によって、土地の私有が認められるようになりました。空前の開墾ブームが始まり、その結果、荘園なるものが登場するようになります。

荘園は世界史的存在

荘園とは、「公的支配を受けない(あるいは公的支配を極力制限した)一定規模以上の私的所有・経営の土地」とwikiでは定義してあります。荘園は世界史的に各地に登場しており、中国にもヨーロッパにもそういう時期があります。荘園の登場は公(天皇や国)に対して個人(民間)の力が伸びてくる時期に生まれるようです。農業生産力の増大と関係があるのでしょう。

初期荘園

墾田永年私財法により、中央貴族・大寺社・地方の富豪が積極的に集約的な開墾を行います。その結果生まれた大規模な私有土地を初期荘園といいます。

意外とすぐ衰える初期荘園

荘園の成立で貴族とか富豪とかさらに大儲けしたのかと思いましたが、初期荘園は意外にもけっこうすぐ衰えてしますいます。私有とはいえ、初期荘園には課税義務がありました。開墾した土地からの収穫の一部を税金として納める必要があったのです。また、大規模だけにそこの管理もコストがかかったようです。倉や事務所、そこで働く人。定期コストが高かったため、不作の年があれば大きく赤字になったことが予想されます。
このため初期荘園は10世紀までには衰退していくことになります。

抜け道を探す初期荘園

ところが、悪人の登場で初期荘園に明るい可能性がでてきます。荘園経営の重要コストをしめる税金を逃れる方法を見つけ出す荘園がでてきたのです。

  • 官省符荘=太政官の発する太政官符等によって租税の一部またはすべてが公的に免除されます。
  • 国免荘=国司(国毎に中央から派遣された長)が免税を認める。
  • 免田寄人型荘園=国司の下の徴税人(寄人よりゅうど)が国司に頼んで自分の担当荘園の免税を認めてもらう。
  • 雑役免型荘園=納税には農作物を納める方法と雑役を納める形式があった。農作物の免税は比較的難しかったため雑役の免税だけ認めてもらう。

自墾地系荘園から寄進地系荘園へ

免税の許可不許可は最終的には中央貴族のコントロール下にありました。
寄人(徴税人)→国司(地方官吏長)→中央貴族(政府)。こういうヒエラルキーでしたので、中央貴族が諾とすればそれがそのまま下へ諾と伝言されます。そうであれば、この中央貴族さえおさえておけば、寄人とか国司に関係なく脱税自由じゃね?と考える者がでてきます。そのような背景から土地の所有者が中央の貴族やこちらも力のあった有力寺社へ自分の土地を寄付(寄進)しようという動きが、11世紀頃から活発になります。こうした荘園を初期の自墾地系荘園に対し、寄進地系荘園と呼びます。

寄進地系荘園ではやりたい放題⁉

この寄進地系荘園、自墾地系荘園とは違いその所有者は中央貴族や有力寺社となります。彼らは自己所有の荘園での自由度をさらに高めるため、いくつかの特権を準備しました。

  • 不輸の権:上述の税金の免税を受ける権利のことです。官省符荘や国免荘はこの不輸の権を持っていました。
  • 不入の権:役人の出入りを荘園領主が拒否できる特権です。国司が土地調査のために派遣した役人でもこの不入の権により荘園内への立入りができなくなりました。
    今でいうと税務署職員の立入りを拒否できる会社や事務所のようなものでしょうか。強力な特権ですよねw

中央貴族や有力寺社と結びついた大規模荘園はこのような特権を獲得しつつ領域的な広がりを持つようになります。時代が進むと、さらに警察権行使までも排除するようになり、荘園領主が自分で警察権を行使するようになります。これがさらに発展して戦国武将の領土となっていきます。

荘園整理令によって拡大を防ごうとするが…

こうした寄進地系荘園の乱立を防ぐため荘園整理令もしばしば出されたのですが、実際の実務を地方の国司が握っており効果は限定的でした。また、荘園整理令は正規の手続きを踏まない荘園に対する規制であり、先の官省符荘のように正規の手続によって立荘された荘園にはまったく規制が及びませんでした。

これを踏まえ、1069年の後三条天皇による延久の荘園整理令はかなり厳しいものでした。まず、整理の実務を地方の国司ではなく、中央に設置の記録荘園券契所という専門機関が取仕切るようにしました。また、後三条天皇は当時政界を牛耳っていた藤原氏と姻戚上のつながりが薄かったため、タブーであった接関家の領地に対しても審査の対象とするなど厳重な実施が行われ一定の成果をあげます(なお、これにより後三条天皇は権勢を増し、後の院政へつながるきっかけとなります)。

逆にお墨付きを得た寄進地系荘園

一方でこの整理令の規制によってもなおかつ存続した荘園は、天皇の勅許のもと晴れて天下公認されたことになり、その後の整理令の対象とはならないという原則が確立されることにもなりました。

また、その後の院政の確立によって、それまでの藤原氏を中心とした中央貴族から、荘園整理事務の中心的役割を果たすことになった院(天皇をリタイアした上皇や法皇)に対する開発領主からの寄進が相次ぐようになります。

延久の荘園整理令はこれまでの正規をふまない荘園の解体には一定の成果を上げたものの、これによって認められた荘園には皮肉なことにさらなる寄進によって土地が集まることなりました。

結局、寄進地系荘園は、延久の荘園整理令が発せられた11世紀後半から全国各地へ本格的に広まってゆき、平安時代末期の12世紀中頃から後期にかけて最盛期を迎えたのでした。

投稿者プロフィール

溝口 喜郎
溝口 喜郎代表取締役
やまねこ不動産株式会社の代表取締役です。
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