公地公民制の崩壊
大化の改新以前は、土地は私有でした。豪族なんかが自分で土地を持って、そこで働く人たちも私有していました。これが大化の改新により、土地に対する豪族たちの私的所有を禁止し、全ての土地、人民は天皇(公)が所有するとして公地公民制を取りました。
その具体的な政策の目玉が班田収授法だったのですが、国が人民に分け与える整備された土地が圧倒的に不足しているという現実の前に、902年の醍醐天皇の班田が最後の班田となった、というのが前回の話でした。
三世一身法は三代までの私有を許可
西暦723年に発布されたのが三世一身法です(班田収授法は引き続き継続はしてます)。
建前上は公地公民制を保ったまま、国が個人に土地の私有を条件つきで許可するという形式をとりました。すでにある灌漑施設を利用して土地を開拓した人はその人一代までの私有、既存の灌漑施設を使わず、新たな灌漑施設込みで土地を開拓した人はその人含めて三代(孫まで)の私有を認めました。
土地は国のものであると宣言したにもかかわらず、土地を開拓する余力が国になかったため、個人の力を利用してまずは開拓させたうえで、三代経てば国が没収してやろう、土地はもともと国のものだから、という、国にとっては一石二鳥の政策です。気の長い話ではありますが、まさに国家百年の計といったところでしょうか。長期的目線で物事を考える政治家がいたのでしょうね。
三世一身法の効果は?
人民にとってもメリットの大きい政策ですよね。それまでは米を収穫しても土地のレンタル料として米を一部納めないといけなかったのに、一度開墾さえすれば自分の土地ですから収穫が100%もらえます。しかも灌漑施設まで作れば孫の代まで100%が続くのです。
ただしここから私の推測ですが、普通の農民が荒地を新規に開墾できたとは思えません。写真のような機会もない時代です。途方も無いコストがかかったと推測されます。かなりの財力がないと行えなかったのではないでしょうかね。となれば、実際には金持ち優遇的ななにか裏がある政策だったようにも思えます。
それはともかくてとして、三世一身法の施工で開墾地面積は実際にぐーんと上がったとされています。
あまりにも人間的な終わり方
ところが、三世一身法は結局うまくいきませんでした。国に戻す時期が近づくとみんなバカらしくなって耕作をやめてしまったのです。さらにひどいのになると、わざと表面上荒地に戻したうえで、改めて「ここ開墾しますよ~」と再申請する者もでてきたそうです。現在のコロナ給付金詐欺みたいのを行う人がすでにこの時代にもいたようですね笑
三代限りは無理がある 人間だもの
結局三世一身法は施行からわずか20年で、次の墾田永年私財法にとってかわられます。
資本主義と社会主義の戦いをみるようですが、今も昔もやはり利がないと人は動かないのでしょう。人間だものと。
645年に大化の改新によって建前上の公地公民制をとってきました。三世一身法もその前提の中での政策でしたが、墾田永年私財法は文字通り土地の私有を認めることになります。
今回はここまでにします。
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